2017年6月26日月曜日

『神を信じるメリット』

以下はひとつ前のブログに書いた「当時アメブロに書いていた日記」の転載です。

☆☆☆


先月7月26日、映画を観に行った後、遅い時間にアメリカへ移動。

義両親宅に着いたときは、すでに深夜0時近くになっていました。
眠くて倒れそうになりつつも、なんとなくFacebookをひらいてみて、目に飛び込んで来たニュース。

日本時間7月27日の朝、

4年間のがん闘病を終え、たいせつな友人が天国へ還りました。

自分の中で気持ちの整理がつけられなくて、こうして書いていても涙が出て来てしまいます。

2008年夏、病気がわかったとき、私は(おそらく本人も)100%、完治するものと信じていました。

結果的に、治ることはなく、34歳の若さで亡くなりました。


彼はイエス・キリストによる購いを信じるクリスチャンでした。

そんな彼がどうしてこんな目にあわなければいけないのか・・・
いやされると信じて祈ってきたのに、なぜいやされないのか・・・
神様にとって、彼の体からがん細胞を追い出すことなんてわけないことなのに。

なぜ?

という疑問が浮かぶことが、私にもありましたから、彼にだってあったのではないかと思います。

が、彼がミクシィにアップした最後の日記を読むと、そういうところを彼は越えていたんだ、ということがわかります。

本人に確認が取れないことは残念ですが、妹さんに承諾をいただいて、ここに全文を転載しておきます。

(※読みやすさのため、改行・フォント調整などは私がしました)



-----------------------------------

『神を信じるメリット』

神を信じると良いことが起こるのでしょうか。

例えば、聖書の神は全知全能とあるのでどんな願いも叶えることなど容易なことでしょう。

しかし、実際には願っても願いが叶わないことがあります。
また、突然の病気や事故に会うこともあるでしょう。

そうだとしたら神を信じている人も信じていない人も同じではないかと疑問に思ってしまう人が多いのではないでしょうか。 

自分は長い間病気が治るように祈ってきましたが、病状は悪化し続けています。
今では殆ど外出することができなくなり、身体的にかなり辛い状況です。
それでも、最期まで神を信じていこうと決めました。

その理由として 


1.神は耐えられない試練は与えないこと。 

2.人は必ず死に、死後に神の裁きを受けることが決まっていること。 


3.イエスキリストを信じれば罪が赦され神の裁きを受けずに天国にいけること。 

の聖書の約束を信じたからです。 


多くの人は神を信じたら、事業が成功して儲けたり、健康に過ごせたり、快適な暮らしができると思っているかもしれません。

もちろん神を信じてそのように祝福された人生を送れる人もいるでしょう。
素晴らしいことだと思います。

しかし、もし自分のように死の床で苦しんでいたり、思うようにいかないことばかりで苦しい人生を歩んでいる人がいるならば是非知って欲しい聖書の言葉があります。 


「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

(ヨハネ3:16)

自分の人生がうまくいかないのは罪を犯しているからだとか、信仰がないからだとか思っている人もいるかもしれません。
しかし、それは聖書の教えではありません。

なぜならキリストの命と引き換えに私の命を救って下さる程に神が私たちを愛して下さっているのに、私たちに悪いことをなさるとは到底考えられないからです。

私たちは皆神から愛されています。
そう思えなくても愛されています。

そしてキリストを救い主と信じれば行いによらずに天国に行けます。

自分は、今まで何回もこのようなことは聞いていたのですが、心で理解していなかったのでこれが神を信じるメリットだとは思いませんでした。

しかし、死が近くなってきた今、キリストを信じて天国へ行けることを確信するようになり、心の平安、罪責感からの解放、神に愛されている喜びが与えられたことによって、これらが神を信じるメリットだと分かりました。 


いつか皆さんも人生最大の問題である死に向きあうことになる日が来ると思います。
その時に是非思い出して欲しいことがあります。

それはイエスキリストが自分の罪の身代わりに十字架にかかって死んで墓に葬られ、三日目に蘇って今も生きておられることを信じれば必ず天国に行けるということです。

死んだ人間が蘇ることなど有り得ない、そもそも神などもいないと思っている人も沢山いると思います。 


しかし、これは信じるか信じないかの個人の信仰の問題であり、自分で選択しなければなりません。

ですから自分の願いは一人でも多くの人が神を信じることを選び取り、例え苦難続きの人生であっても、人生を振り返って最期に神を信じて良かった、神様感謝しますといって天に凱旋される日を迎えられるような人生を歩んでいって欲しいなと思います。


-----------------------------------

今年3月末から一時帰国をした際、お見舞いに行ったとき、
「思ったより元気そうだね」と言うと
「いやいや、元気じゃないです。そうとうヤバいです」
みたいなことを本人さらっと言ってましたが、それでも私はしつこく、

どたんばのギリギリで、どんでん返しがあるに違いない。。。
いかにも治らなそうなところから、ころっと神様が治してくれるに違いない。。


なんて思っていました。

だって、治ってくれないと寂しいもの。
でも、そういう思いは私の自分勝手な思いだったんですね。

神様には、別のプランがあった。

彼のお葬式には、平日なのにも関わらず、たくさんの人が集まったそうです。
伝道集会のようにしたい、という希望が彼にはあったそうです。
参列した方々の、感動した、すばらしかった、という声を聞きました。

彼は、病気を通して、死に際して、神様の名前がほめたたえられることを望んだんですね。

そして今は、痛みも苦しみも涙もない、喜びと幸せに包まれた場所にいるんだもんね。

いつか、天国で再会して、彼のお得意のおやじギャグで笑わせてもらえるのを楽しみにしたいと思います。

まだ気持ちの整理ができないままなりに、彼ののこした言葉、戦い抜いた姿を、記録にのこしてできるだけ多くの人に見てほしいと思い、ぐだぐだながら、書かせて頂きました。

☆☆☆
(以上、2012年8月14日付)


© copyright 2017 – All rights reserved
北米日記
*無断転載を禁じます*

0 件のコメント:

コメントを投稿